世間話

 皆さん、こんばんは。
 僕は、今日は世間話をしたいと思います。
 今、僕に必要なのは世間話という視点なのだろうな、と、夜勤の休憩中、コンビニで買ってきたゆで卵を食べながら考えたわけです。
 ゆで卵と言えば板東英二さんですが、と、ゆで卵きっかけで板東英二さんの話をし始めようとして、僕が全くの坂東知らずであること深く自覚し、恥じ入っております。
 ところでゆで卵ですが。と、まだゆで卵で頑張ろうとする僕ではございますが、今度はクリープハイプのボーカルの、尾崎世界観さんのことを書きますので、BandAgeさんよりは、少しお話できることがあると思います。
 この間ね、世界観さんのエッセイ『苦汁100%』を読んだんです。そういう、文章を書くことを生活の中心にしていない方が、きちんと文章を書こうとした時に生まれる文章が、読みたいなと思ったわけです。
 世界観さんはよく「売れてぇなあ」と書かれていて、それがなんというか、すごく染み入りました。ああ、売れたいんだ。それが仕事になっても、もっと売れたいし、色々な人に曲を聴いてもらいたいし、それで喜んでもらいたいんだ、そういう気持ちは、おそらくずっと心の中にあるんだ、ということが伝わってくるんです。それで僕は世界観さんのことを、とても安易な言い方だけれど、見直しました。なんというかもっと、世界観という名を名乗る方だから、アーティスティックな方なのかなと思っていたんです。でも実際には、コンビニでゆで卵を買って食べるような気さくな方でした。(気さくという言葉の使い方に疑問が残るけれども)
 世界観さんは、コンビニでゆで卵を買って、外で食べた。というちょっとした一文があって、僕はその文章を見た時に、見直したというより、もう好きになっちゃっています。
 有名なバンドマンがゆで卵を食べていたら、すごく愛らしいじゃないですか。いやミュージシャンだけではなく、たとえばアインシュタインさんなどが、舌をべって出して写真撮影をした後に、あー撮影終わったつかりたつかりた! ゆで卵食べよ、と言って冷蔵庫からゆで卵を出し、研究机の近くの椅子にちんまり座ってね、少し背中を丸めて卵の殻を剥いているの、これめちゃくちゃかわいいじゃないですか。いやよく考えたら老若男女問わず、ゆで卵を剥いている人間はおそらくみんな可愛くなってしまうんだ。人間はゆで卵の下に平等だ。
 ゆで卵平等論だよ!

 ゆで卵のことどんだけ書くねんという気がしてきたので違うお話をしようと思うんだけれども、マシュマロを設置しました。
 新しくブログを作ってね、ある程度型ができたらマシュマロを設置しようと思っていたので、それが今だったわけです。気持ちが整ったら、たいせつな方を呼びに行こう、と前のブログを消す時に考えていたけれど、そういう方は、みんな自分から来てくれていた。
 その事が、ぼかぁ本当に涙が出るくらい嬉しいのだ。
 それは本当に、不器用というか、何事においても下手くそなんだ、僕は。そんな下手くそ寄りの下手くそを、自分から見ようとしてくれている人のことは大好きです。ありがとうございます。すっと居なくなってしまい、すみませんでした。ピリオドのこっちがわでやりたいことは全部やってしまったんです。

 でもこうも考えていました。もし見たいなあと思えばここに来ることができるはずだと。だから最初にスターがついた時には、僕はひとりで、やっぱりこの方は凄いんだ! と大興奮してしまいました。大事なことなのでもう一度書きますけれども、僕はお誘いにいくつもりがありました。それでも来てくれたことが嬉しんです。それはそれは嬉しんです。

 嬉しいといえば、マシュマロのお返事を、不思議なWEBページで頂いたことも大変嬉しかったです。僕の大好きな写真が一番上に載っていて「ああっ! これめちゃくちゃ嬉しいやつだ!」と思いました。そこに、僕を喜ばせようとしてくれている意思があって、それで、人を喜ばせたり楽しませたりすることが好きだという心根があって、僕は頭がおかしくなってしまう。脳が膨らんだみたいになって、少し涙目になってしまう。二三回ページを開いて、写真が目に入って、眩しくて閉じてしまう。いや閉じてる場合じゃないと思って5回ほど読み直して微笑んでいた。そこに書いてある文章が全部、僕は好きです。好きですだし、そこはきっとLOVEという文脈もあるのだろう。だんだんと自分の正体がつまびらかになってくると、それはそれで気軽にLOVEと言いづくなってしまうのだけれども、たとえば明日、交通事故で僕は死ぬかもしれないのだし、轢かれてアスファルトの上に横たわりながら「なんで伝えたい気持ちを伝えなかったんだろう」って思うとめちゃめちゃ悔しいので、僕も好きですし、好きと言ってもらえて好きです。嬉しかったし、色々なことを考えることもできました。本当にありがとう!

 そりから、スターをくれる方、この拙い文章から、なんかを少しでも貰っていっていただければいいなと思っています。試食の焼きイカよりも無料の文章ですから、剥げるところを剥ぎ、削れるところを削りとって、届いていればいいなと思います。励みになります。引用してくれているのも見ています。ありがとうLOVE。LOVEも一応無料です。持っていってね。お母さんには内緒だよ。

 さっきメッセージで「ブログ辞めたの?」と聞いてくれた方、僕が全然変わってなくて、おそらく君はもう飽きてしまっているだろう。申し訳なく思う。けれど聞いてくれたことは、嬉しく思うし、このステージは、ブログというものは、君とはじめて対峙した場所であること、それが僕のインターネットの可能性を大きく広げたこと、そういうことに思いを馳せると、変わらない僕にも、変わっていく君にも、またそれらを包括して保存したり、消えたりしていく儚いインターネットの事も、僕は全部好きな気がするし、おそらくいつものように消えるのかもしれないけれど、そのたびに色々なことを考えて、こうしたら上手くいくかもしれないって試して進むことにはきっと意味があるのではないだろうかね。無いかね。それはお楽しみだね!

 しゃべりことばの世間話で書いてみると、湿っぽくていけねぇや。でも良い気持ちを伝えることは大事だよね。それはとても大事だよ。
 さてそろそろ次のお話がしたいな。
 夏のことが気になっていてさ、炎天下、近所のデパートの中庭でジュース飲んでたのね。
 そしたら遠くで蝉がじわじわ鳴いているの。おじいさんが背中を丸めて、かばんの中からゆっくりゆっくり煙草を出そうとしていた。白い犬はベンチの脇の木陰でまん丸くなっていてさ、そのとき何でだか時間に取り残された気持ちになった。
 あっ、取り残された! まずい! って思った。
 いつもならそこで、自分が「何をしていないか」を考える。それが僕の思考パターンだと思っていた。
 たとえば「今年は海に行けていない」とか、「友達と花火をしていない」とか、そういうことを。昔は出来たけれど、今は出来ていないことを。でも今日は違いました。
 夏っていいなあと思おうと思った。
 僕が何もしていなくても、太陽ぎらぎらで、蝉が鳴いていて、花火が上がって、海が綺麗だ。
 それは変わらないんだって思った。
 それが夏なんだなあ。

 これから花火に行ってきます。
 地元の花火大会なんです。
 帰ってきたら本を読みたいと思います。
 夏の夜の読書は、とてもいいものだと思うんです。